ゲームの功罪
すいません・・・・またしても
あれから、日にちが過ぎてしもうた・・・
気がつけば、ブログにコメントが・・・
申し訳ありません。
お返事遅くなってしまいました。
そうなんですーーーー
まだ、まだ、ゲームにはまっております。
娘と二人・・・ああでもない、こうでもないと
交代で,DSの奪い合いをしている。
なんて事でしょうねえ、全く。
DSの一番のいいところはですね
何処へでも、持ち運んでやれる
と言うことでしょうか。
今までのゲームですと
テレビの前に陣取って
やるぞー!となるんですが
今回は、その必要がない。
台所で、食事の支度をしながらでも
ちょこっと出来ちゃう。
ちょっと想像してみてよ・・・
片っ方で、野菜を刻みながら
煮物をしながら、DS・・・・
何ともかんとも、呆れたお話でして。
まあ、そこまでやるのは、
たまに・・・ですけどね。
殆どは、私が食事の支度中は
娘に取られて、おります。
娘がテレビを見ているときは
私が、やってる・・・
「どうなってるんだ!」と
横でふうちゃんが・・・・・・
(まあねえ、彼は・・・
私と娘の会話に入ってこれない
その、腹いせかも。)
そう言いますけどね、
何を隠そう、その昔、
ドラクエで教育論を
展開したのは、ふうちゃんなんですよ。
(そのあたりをお読みになりたい方は
HPをご覧下さいませ)
言い訳する訳じゃないんですが
ドラクエが、面白いのは
それなりに、理由があると思っております。
やっぱり、一番は
自分が主人公になって
話を進められると言うことでしょうか。
結論は、決まっているにしても
その課程は、やる人それぞれで
違ってくる・・その楽しさでしょうかしらね。
前にも書いた気がするんですが、
ゲームをやっていると、
やっている人の性格がすごくよく出るんです。
私がやると、
どうしても慎重に、慎重にゲームが進む。
命大事に、お金大事に・・・
(特にお金がねえ・・何せ、ケチなもので)
娘がやると、怖い相手が出てくると
逃げちゃう傾向がある。
ふうちゃんがやると・・・
もう、行き当たりばったり、とにかくガンガン
やっちゃえタイプです。
お金が無くなろうが、命がなくなろうが
それ、いけー!てな具合でして。
そのやり方だけを見ていても
面白い気がします。
さて、
そうは言っても、ドラクエに
問題がある、とも思っております。
何と言っても、気になるのは
「死んでしまっても、生き返る」という
考え方でしょうか。
教会で牧師さんにお祈りしてもらうと
死んだ主人公が、
生き返ってしまうんですよ。
この設定は、ドラクエの最初の頃から
ずっと同じでして、
私はどうしても、気になって
仕方がありませんでした。
だってねえ・・・
人間は、一度死ねば、もうそれこそ
どうやったって、生きて返ってくることは
無いんですからね、現実には!
教会でお祈りしたって、
お寺でお経を唱えたって
絶対に、現実の世界では
死んだ人は、戻っては来ません。
絶対に、あり得ないお話なんです。
それが、
ドラクエの世界では、
生き返っちゃう。
それって、すごーーーく問題だと
思うんです。
だってね、
小さい子供の頃から
これで遊んでいると、
いつの間にか、現実も生き返っちゃうと
思っちゃうと思うんです、子供はね。
人間の死が、もの凄く軽い感じになってしまう。
最近よくある、
「誰でもいいから、殺したい」と言う事件。
ひょっとして・・・もしかして・・・
これの影響じゃないかと・・・・
(考えすぎかもしれないけど・・)
つい、つい、思ってしまうのです。
安易に、人間の死を扱いすぎてる
そんな気がしてなりません。
なんて、あれこれ考えておりますが
そうは言っても・・・
面白いものは面白い・・・
結局、やめられない私って・・・
作り手の思惑にしっかりはまって
いるのですよ・・・
ああ・・・・・・私の人生って・・・
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