母の入院・・その13
この夜・・・つまり
2月11日(月)の夜が、
私にとっては、最悪の夜でした・・・・
ベットに入っても、
眠気などは、全くやってこなかった。
目に浮かぶのは、
機械をつけられた母の姿・・・と
それから、昔の母の思い出ばかり。
大学受験の合格の時
一緒に手を取り合って、喜んでくれた姿とか
二十歳の時に
母が私のために、着物を縫ってくれている
姿とか
娘の為に、必死でミルクを
あげているときのこととか
よく小説に、走馬燈のように・・・という
書き方が出てくるのだけど
本当にそんな感じって、あるのです。
次から次へと、
思い出が、胸を締め付けてくる・・・・
もう、そうなると、眠るどころじゃないのです。
真夜中・・・・
2時頃だったと思います・・・
起きあがって食堂の
椅子に座って、ただただ
この、どうしようもない思い出と
対峙しておりました。
こう、書いてくると
凄く、親孝行な娘と母というような
関係だと思ってしまわれる
かもしれませんが、
そんなことは全然ないんです。
普段は・・・というか
最近は、しょっちゅう喧嘩もしていて
売り言葉に買い言葉
お互い、言わなくていいことを
言い合って、
後で、なんてアホなんだろうと、
反省ばかりしている、
そんな、本当に、ごく普通の
親子なんです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そう・・・・・
よく、喧嘩もしているのです・・・・・
そう・・・・・
いろいろな喧嘩の場面も
頭に浮かんでは、消えていきました・・・
その時、ハッと気が付いたの・・・・
ああ・・・・・・・・
お母さんがこのまま死んじゃったら、
その喧嘩さえ出来ないんだ!!!
もう、売り言葉に買い言葉も
言い合えないんだ!!
もう、それは、
恐怖に近い感情でした。
そうなんだ・・・・
人間、一度死んじゃったら、もう
絶対に生き返らない。
生き返らないってことは、
もう、笑いあえない
喧嘩も出来ない
馬鹿も言い合えない
なんにも出来なくなっちゃうのです・・・・・
イヤだ!!
そんなのイヤだ!!
絶対にイヤだ!!
目から涙が、どんどんあふれて
止まらなくなっておりました・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ふと、目を上げると
そこには、同じように
涙でぐしゃぐしゃになった
娘の顔がありました。
真っ赤に腫れた目で
「お母さん、大丈夫?」と
声には出さないけど、
言っているように見えました。
世の中では
自殺する人が、年々増えています。
子供を殺す親もいれば
親を殺す子供もいます。
自ら命を絶つには、
あるいは、人を殺すには
それなりの理由があるのでしょう
でも・・・
でも・・・・・・・・
考えてみてください
一度人間は死んでしまったら
もう、絶対に戻ってこないのです。
ドラクエの世界のように
協会でお祈りすれば、戻ってくる
なんてことは絶対にないのです。
そんな当たり前のことに、
今頃気が付くなんて、と
おっしゃるかもしれませんが、
今回のことで、
本当に、人間の死の意味を
改めて、考えさせられておりました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて、さて、
長々と、つらいお話をお聞かせしてしまって、
申し訳ありませんでした・・・
私の落ち込みは、
この日が最悪でして、
この日から、13日頃まで続きました。
で・・・・
その最悪のあたりで、
こりゃもう、ブログどころじゃないと、
まあ、その、思い定めまして、
例の、ブログ休止を
お伝えした訳なんです。
そう言うわけで、
いよいよ、これからは、
怒濤の回復編!!
ちょっとばっかり、
驚きのお話になります。
« 母の入院・・その12 | トップページ | 母の入院・・その14 »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 久しぶりの投稿です。(2021.03.27)
- 明けまして、おめでとうございます(2013.01.02)
- 遅ればせながら、日食のお話(2012.05.23)
- あきらめた訳じゃない?・・・・だけど・・・(2012.05.17)
- お久しぶりです(2012.01.03)
コメント
この記事へのコメントは終了しました。
★ぴえろさん、いつもコメント有りがとうございます。
ぴえろさんは、3年前・・・・・ですか・・・
母親への思いって、なんと言っていいのか分からないのですけど、特別ですよね。
母がいなくなってしまうと、思ったときのあの恐怖感は、ものすごかったです・・・
そういうことがわかっただけでも、今回のことは意味があったと、思っております。
ご心配おかけして、申し訳ありません。
母は、もう、びっくりの快復力でして・・・すっかり元に戻りました。ありがとうございます・
★marimariさん、たびたびコメントありがとうございます。
いえ、いえ、とんでもありません。
コメントいただき、頑張って最後まで書こうと・・・思ったんですよ。
ただ、どうもあんまり読んでいて楽しい、という話でもないので、どうかなあと思いつつ、書いておりました。自分のメモのために書いていたという感じです。
今回のことで、普段考えない、命の重みをしみじみ感じました。
本当に、生きてるってことは、凄いことなんですね。
そういうことを、読んでくださる方が、少しでも感じてくだされば、嬉しいと思います。
投稿: ピーコ | 2008年3月11日 (火) 06時44分
私も三年前91歳の母を亡くしていますが、ピーコさんの悲痛な気持ち、手に取るように分かります。
私など遠く離れ、お盆と正月しか会っていませんでしたが、何処にいても母の思いは変わりませんでした。今でも小さくなった母の姿を思い出すと熱いものがこみあげてきます。
寝たきりでもいいから生きていてくれればそれでよいと思ったものです。
親の存在は大きなものですね。
お母さまは回復なさったものと信じております。
投稿: ぴえろ | 2008年3月10日 (月) 15時11分
ピーコさん
大変でしたね。ピーコさんはそれなのに、きちんと「ブログお休みします」というご挨拶まで下さって・・・辛い状況の中で、それをなさるのも大変な事だったかと思います。
気楽にコメントしてしまって、今思えば、本当に申し訳ありませんでした。
お母様が危険な状態だったときのピーコさんのお気持ち、恐らく経験した人でないと本当には分らないかもしれませんね。ももさんも素敵なお嬢さんですね。
朝、でかける家族を「いってらっしゃい」と見送るとき、元気で帰ってくるのが当り前だと思っているけれど、そうではないのだと時々考えることがあります。
帰ってきてくれて、ありがとう。ですよね。
ふうちゃんにもご覧頂いた息子の「卒業を祝う会」で陽水の「ありがとう」が歌われていましたけれど、あの歌はすごいとしみじみ思います。
「近い人遠い人やさしい人イヤな人みんなみんなありがとう」
たまたまそういう事を考えていた時期だったので、ピーコさんのお話はとても私にとって意味深く思えてなりません。
投稿: marimari | 2008年3月10日 (月) 09時09分