母の入院・・・・その8
それからのことは、
正直言って、私も、はっきりとは
記憶に残っておりません。
驚いていたのと、
何とかしなくちゃという、焦りとで
何をやっていたのか、はっきりしない
ところがあるのです。
ただ、とにかく一番最初にしたのは
ふうちゃんに知らせたことでした。
「母が・・母が・・・急変した!!」
2階に飛び込んで叫んだ私。
それを聞いたふうちゃんは、
電話で、救急車を呼んだようです。
そのあたりのことは、
ぼんやりと想い出すばかりです。
実は、後で母に聞いたのですが、
母も、そのあたりのことを覚えていないと
言います。
「貴女に、寄りかかって、
フラフラっと、して、担架に乗せられたのは
覚えているんだけど・・あとは
覚えてないのよね・・・・
気が付いたら、病院のベットだったの」
私が見ていた限りでは、
この時、母の意識がなくなるくらい
ひどい状態だったようには
見えなかったのですが、
とにかく、容態は、急変・・・という言葉が
ぴったりだったのかもしれません。
もう一つ覚えているのは、
救急車の中で、
救急隊の隊員さんが、
母に、酸素マスクを当てていたのですが
「酸素濃度が上がらないぞ」と
騒いでいたことでしょうか。
母の指に付けられた、
血液中の酸素濃度を計る機械から
知らせてくる値が、やけに低くて
隊員さんが、慌てていたようなのです。
酸素濃度をいっぱいに上げるように
指示していた声を
何となく覚えております。
それくらい、母の容態は
ひどく悪かった・・・ということなのでしょう。
救急車は、近くの
N病院へ、母を搬送してくれました。
その病院は、主に救急患者を扱う
我が家のあたりでは、有名な大きな病院でした。
でも、
本当に、東京って、
さすが東京なんだなあと、思いますね。
先頃、救急車が病院を探しているうちに
患者さんが亡くなってしまうという事件が
あちこちで起きています。
でも、東京では・・・・・・
というか
今回について言えば、
全くそんなことはありませんでした。
救急車が到着するのに、
4分ほど・・・その後まっすぐに
病院に搬送されて、お医者さんに
たどり着くまで、10分ほどだったようです。
一日も早く、日本全国が、
同じような体制になるように
願わずには
いられません。
さて、
到着した、N病院・・・・・・・
母は、酸素マスクと、点滴を打たれ
診察室へ消えていきました。
循環器科の先生が、ちょうどいらっしゃって
これから診てもらいますから・・と
看護士さんの言葉を残して・・・・・
で・・・・・・・
この後、
実は・・・・・・・・
このお若い、循環器科の先生から
私とふうちゃんは、とんでもないお話を
聞かされることになるのです・・・・・・
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