上杉鷹山
珍しく、真面目な本を読んでいる・・・・
「上杉鷹山の経営学」・・・・竜門冬二作・・・
私にしては快挙なのよね。
ふうちゃんも驚いている。
だって私の読む本は、ほとんどがラブストーリー。
たまに読めば、推理小説か、歴史小説
ぐらいなものでして、経営学なんて代物は
私の読書分野にはないんです。
それが、
ふうちゃんが、このところ
やたらめったら、鷹山に凝っちゃって
買い込んでくるものだから
つい、ちょっと、ペラペラとめくってみたら
止められなくなっちゃったの。
何に、そんなに引きつけられたかというと、
そのものズバリ、
上杉鷹山の人柄、業績!!
すごい人なんですよ、この人!!
ご存じでしたか、みなさん、上杉鷹山。
名前は歴史にちょこっと出てくるから、
ご存じの方もいらっしゃるかも・・・
でも、何をやった人かとか、業績なんていうと、
まあ、ほとんど日本人でも知らない人が
多いのではないでしょうか。
地元、米沢では、とにかく有名人らしい・・・
公立の小学校の体育館には
必ず、上杉謙信と、鷹山の額があるそうです。
それほど、地元の方々からは
名君として、慕われている人なんですね。
鷹山を有名にしたのは、
なんと、かのジョン・F・ケネディなんですよ。
彼が、尊敬する日本人としてあげた
名前が、「上杉鷹山」だったそうです。
それを聞いた、日本人の記者さんが、
それって、誰だ!となったとか・・・・
さて、
その業績ですが
この方、実は、直系の上杉家の方ではないんです。
日向(九州の宮崎県)高鍋藩の次男坊さんなの。
それが、上杉重定の養子となって、
藩主になるんですが、その時には、
米沢藩は、財政破綻の状態だった。
まあ、今で言えば、
夕張市みたいなものね。
そもそも、上杉と言えば
謙信公のときには、200万石の
大大名なんですよね。
ところが、秀吉によって、会津に移されて
120万石になり、その後、関ヶ原で
豊臣方に加勢して、30万石に減ったわけ。
ところが、その後、家督相続の不手際で
またしても減らされて、
鷹山公が相続したときには
15万石の小さな大名になっていたんですね。
ところが、
何しろ、名前が上杉ですからね、
名家・・・ということで
格式だけがやたらに高いわけ。
おまけに、家臣を減らさずそのまま・・・
なんてことになれば、
当然、破綻するわよねえ・・・・
バブル崩壊・・・じゃないけど、
上杉家崩壊の危機だったわけです。
それを、
立て直したのが、この人
上杉鷹山だった!!
そういう、時代背景が似ているからか
最近、この人が見直されているのかも
しれませんね。
で・・・・
細かいことは、
上記の本をお読み下されば
いいのですけど、
とにかく、この人すごい人なの。
何がすごいって、
考え方が・・・・驚いちゃうのよ・・・
「藩政改革の目的を
民富に置いた」
藩が富むためでも、藩士が富む為でもないの
藩に住む人々が豊かになること
それを目的にしたんです。
封建時代ですからね、
今なら、驚かないですけど・・・この時代に
そんなことを考えるお殿様がいたなんて・・
そして、さらにすごいのは
「民富」のために大切なのは
「領内の弱い立場にある人をいたわろう」
だということを、知っていたことなんです。
実は・・・・
鷹山が養子になった上杉家には
「幸」さんという、お姫様がいて、
この方と、鷹山は結婚しているんですが、
この方、幼いときに患った病気のために
心身の発達が遅れていた方だったようなんです。
たぶん、そのために、よけいに
弱者に対して、優しい方になったのかも
しれないと、この本にはかいてありました。
とにかく、
江戸時代の封建君主である
鷹山さんが、
民主主義そのもののような考えを
持っていたということが、
とにかく私には、驚きだったんです。
なにせ、
時代劇と言えば、
水戸黄門・・・悪代官・・・てな
発想しか浮かばない私にしてみれば
青天の霹靂・・・ですね。
何か嬉しくなっちゃうじゃないですか・・
日本の昔・・・
百年以上も前に
立派な、名君がいたなんてね。
日本人も捨てたものじゃないですね!!
もっと、この方のこと
日本中の人が知ってもいいのじゃないかしら?
大河ドラマにでも、ならないかしらね、
そうすれば、もっと知られるようになるのに・・・
なんて思っております。
「上杉鷹山」に
興味が持てた方、
ちょっと、読んでみませんか・・・
最後に
上杉鷹山の有名な句を
ご紹介します。
「なせばなる、なさねばならぬ
何事も、なさぬは、ひとの
なさぬなりけり」
http://blogs.yahoo.co.jp/fuhchan2399/27750978.html
ふうちゃんが、米沢に行ったときの
写真です。上杉鷹山の銅像も載ってます。
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コメント
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★ぴえろさん、こんばんは!
そうよねえ、あんまり日本人には知られていない人なのよね。私も名前ぐらいしか知らなかったんですよ。
でもね、何年か前に、NHKのお正月のドラマでこの人を取り上げていたのを覚えています。
この方の逸話が結構残っているみたいでね(尾ひれが付いて、大げさになってるのかもしれないけど)どれも本当に、藩民のためにということを目標にしているのが分かる、そんな話ばかりなんですよ。とにかく地元の米沢では、お殿様といえば鷹山公を指すようですよ。他のお殿様は忘れられているんですって。それくらい人々の心に残る政治をしていたと言うことなんでしょうね。凄い人が日本にもいたんだと思うと、嬉しくなっちゃいませんか?
★ふうちゃんへ
フフフ、珍しいでしょ。ふうちゃんの読んでる本を読むなんてね。明日は雨・・・っておもっていたらほんとうに雨が降っちゃったわねえ・・・・
でも、チラッと読んだらやめられなくなっちゃったのよ。とにかく驚きでしたね。鷹山さんって本当に凄い人なのねえ。一番びっくりしたのは、やっぱりあの時代に民主主義的な発想を持ってたことですね。それと、それを実行するために、人々の心に訴える手法をしっかり持っていたということかなあ。
まさに今に必要なものをしっかり持っていた政治家だったのですね。
投稿: ピーコ | 2007年12月 3日 (月) 19時34分
おはようございます。
私は歴史に弱いので上杉鷹山のこと初めて知りました。
経済を立て直すには藩に住む人たちを豊かにし、弱い立場の人を労わろうなんて、その思いに至ったことに驚きです。なかなの名君だったのですね。
J.F.ケネディが尊敬する日本人として上杉鷹山をあげたとことも驚きです。
私も、成せば成る成さねば成らぬ何事も・・・は子供の頃から知っていましたが、鷹山の句だったのですね。
お勉強になりました。
投稿: ぴえろ | 2007年12月 3日 (月) 10時53分
鷹山は、細井平州という先生の学問の影響を受けたと言うことです。机上の学問ではなく、実際に役に立つ学問をするようにということです。鷹山が再興した興譲館で平州先生を館長に迎え、この精神で藩士の養成をしたのです。
それにしても、ピーコさん、こんな政治の話に興味をもつなんて珍しいですね。
でも、今の米沢は、それなりに問題をかかえているようです。
http://blogs.yahoo.co.jp/yonezawa_han
投稿: ふうちゃん | 2007年12月 2日 (日) 09時22分