トラが天国に行きました。
涙が止まりません。
今朝5時半頃、トラの様子を見に行ったら、
トラはベットから落ちて、下で転がっていた。
どうやら最後の力を振り絞って、
トイレに入ろうとしたか、水を飲もうとしたらしい。
「トラ大丈夫?もういいんだよ、オムツしているんだから、
そのままそこでしていいんだからね。」
と声をかけたら、
「ニャー」と、か細い声をあげた。
ああ、まだ生きてるんだ!
本当にホッとしました。
転がっているのを見たときには、
一瞬、死んでしまったのではないかと、
思ったものですから。
本当はもっと早く起きて、トラの湯たんぽを
温め直してやろうと思っていた。
でも起きられなかったのです。
というには、一昨日は地震がありましたよね、
夜中の12時ごろに。
それで族全員が起きてしまって、
その後、私はなかなか寝られなかった。
ウトウトしていると、2時ごろに
トラが歩く足音を聞いたのです。
まさか、トラが歩くはずがないと思いました。
それでも、とにかく起きてみなくちゃ、と
飛び起きたのです。
そうしたら、トラが娘の部屋の前で座っていた
本当に驚きました‼️
トラが歩けるなんて、絶対にないと思っていましたから。
だって、もう10日以上もなんにも食べてないんですからね。
そんなことがあって、寝不足で昨日の夜は
起きられなかった。トラがベットから降りた音に
気がつかなかったのです。
話を元に戻してーーー
転がっているトラを抱いてベットに戻して
オムツを替えてやって、湯たんぽを温めてやったのですが、
どう見ても、呼吸が浅くて、目も焦点が合っていません。
これはもう、本当に最後が近づいていると
思いました。
最後なんだから、抱いてやったら、
と主人が声をかけてくれたので
自分の布団に抱いて入れてやりました。
30分ほど抱いていたでしょうか、
トラが口を動かしたので、水を飲みたいのかなあと
思って、ティッシュを湿らせて口につけてやると
少し舐めたトラは苦しそうに声を上げ、
息が止まりました。
二十年間本当にありがとう、
あなたがいてくれて幸せだったよ。
さて、昨日の続きです。
8月25日夕方、大井町のとあるお寿司屋さんで、ふうちゃんと奥居さんは
37年ぶりの再会を果たしました。
テレビでは、お姿を拝見していたんですが、
本物の奥居さん(岸谷さん)は、やっぱり、垢抜けていらっしゃって、
とても美しい方でした。
ふうちゃんにとっては、子供の時の時の面影が重なるようで
大人になった姿は、ちょっと、驚きだったのかもしれません。
不思議なもので、会ってみれば、37年の時間を飛び越して、
ちゃんと子供の頃に戻ってしまうみたいです。
話し方も、奥居さんは、「先生」ですし、ふうちゃんも
「奥居」と呼び捨てです。
私は、とえいば、やっぱり、ちょっと、場違いかなあ・・・・
ふうちゃんから、子供たちの話はよく聞いているので、
名前は知っているし、どんな子供だったかも何となくわかるんですが、
とにかくお会いするのは初めて。
ご挨拶が一通り過ぎたところで、奥居さんがおっしゃったのです。
「私は、よくお弁当を忘れてきて、先生のお弁当を、分けていただきました」
あら、まあ・・・・・・
そんなこともあったかなあ・・・・・・・・・・・
そういえば、ふうちゃんの学校は、一週間に一度水曜日だけが
お弁当だったのでしたっけ・・・・・
「それが、あるとき、先生が食パンにハムとか、キュウリとか、卵とか
挟んであるのを、丸ごと一斤持っていらっしゃって
『奥居、好きなのをとれ』って・・・・」
うーーーーん・・・・・そうだったんですか・・・・・・・そんなことがねえ。
どうやら、それだけではないらしい・・・・・・
奥居さんは、にっこり笑って、おっしゃるのですよ。
「それが、丸ごと一斤でしょ、それに、山崎パンの袋に
そのまますっぽり、入っていて、耳もそのままで・・・・・・・」
その話を、家に帰って、お母様に話したところ、
「母が喜んじゃって、『めんどくサンド』ってよぶことになっちゃったんです。」
ハハハ・・・・・いかにも・・・ありそうな・・・・確かにその作り手は私だなあ。
私、昔から、本当に 料理はずぼらなのよねえ。
ばれちゃいましたねえ・・・・・・
そう、笑いながらおっしゃる、奥居さん、本当に楽しそうでしたね。
まあ、私も若かったし、
あのころは、一応私も学校の先生で、朝お弁当を作るのが
面倒だったのでしょうねえ・・・・おまけに、あの頃は、
ふうちゃんは大食いで・・・・おなかが減るとすぐ怒る・・・・という変な癖があった。
「先生は、お弁当を忘れた子のために、いつも沢山持っていらっしゃるのかと
思っていましたけど」と、奥居さん。
「いえ、いえ、そんな殊勝な考えじゃなかったんですよ
何しろ、あの頃は主人は、大食いだったもので・・・」と、私。
楽しい会話が続いたのでした。
また明日、ごきげんよう
軽井沢は、すっかり秋です。雨が降っております。
雨が降ると、涼しいを通り越して、寒くなります。
さて、前々回、ふうちゃんが、テレビに出たお話を書きました。
岸谷香さんのトーク番組でのお話。
それがもとになりましして、ふうちゃんと岸谷さんは、何度もメールを
やりとりしておりましたところ、お会いすることができることになりました。
37年ぶりの再会です。
そうしましたら、いきなり、
「おい、おまえもついて来いよ」と、ふうちゃん。
「へ?何で、私まで行くの?」
「奥居(岸谷さんの旧姓、ふうちゃんにとっては、今でも奥居さんなんですね)が、
お前に、会って礼が言いたいそうだ」
はあ?お礼?・・・・・はて?
礼を言われるようなことを、私はしたのかしら?そんな記憶はないんだけど?
と、まあ、そんな会話を交わした結果、
私も、ふうちゃんの37年ぶりの再会におつきあいすることとなりました。
それが、実は、一昨日のお話。
8月25日の夕方のことでした。
奥居(岸谷)さんが、当時のクラスのお友達を、何人か集めて、
同窓会を、兼ねてのお食事会でしたの。
その証拠写真が、これです。
とっても、素敵な楽しい会でした。
詳しくはまた明日
お久しぶりです。
軽井沢に来ております。暑い東京を離れて、来てみてば、
こちらはもう、秋の気配。昨夜は、夏布団では寒い・・・・・・・感じです。
さて、そんな朝、
ふうちゃんと、娘は早朝からお弁当を持って、車でお出かけです。
私は、猫のトラとお留守番。
早朝、5時からおきていたので、眠かった・・・・・
布団の中で、ウトウト・・・ウトウト・・・・していたら・・・・
と・・・・・・・・・・・そのとき・・・・・・・・・・・
一本の電話がかかってきた!
さっき、出かけた、ふうちゃんからだった。
「おい、俺たち、どこにいると思う?」
ときたもんだ・・・・・・・
「はあ?キャベツ畑じゃないの?」
そう、ふうちゃんと、娘は、この時期必ず、キャベツ畑を見に行くのだ。
何が面白くって、キャベツ畑なんぞへ、行くのだろう?
と、私は思うんですよ。だって、キャベツ畑ですものね。
一面あるのは、ただ、ただ、キャベツオンリー!
軽井沢から、車で走ると、嬬恋村にたどり着く。
嬬恋村といえば、なんていったって、キャベツ畑ですものね。
「俺たち、キャベツ畑の真ん中にある、お立ち台にいるんだ。
これから、叫ぶから、聞いてくれ!」
「はあ?何を叫ぶの?」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ピーコぉーーーーーー愛してるぞ!!」
あららら・・・・・・・・
眠気も、いっぺんに吹っ飛んだ!
どうも、ありがとうね。ふうちゃん!
そう、そこは、あの有名な、キャベツ畑の真ん中で
愛を叫ぶ、お立ち台だったのだった。
ああ・・・・今日ばっかりは、キャベツ畑に行くのだった。
畑の真ん中で、ふうちゃんの叫び声を聞いてみたかったなあ・・・
というわけで、
そのチラシをご覧ください。本番は、毎年8月31日にあるそうですよ。
さて、まあ、これで、この日のふうちゃんの出番は、おしまいなんだけど、
それにしても、教師という仕事は、とっても素晴らしいなあと、
思わずにはいられません。
人間を教育するというのは、希望ですね。
その子が、この先どんな人生おくるのかは、教えているその時点では、
さっぱりわからない。
でも、その先には、きっと、素晴らしいことがあるだろう、あるに違いないと
そう信じて、教師はみんな頑張っているのでしょうね。
それにしても、思うんですけど・・・・・
教育って不思議です。
岸谷さんは、ふうちゃんが20歳代の時に教えた子どもです。
その頃のふうちゃんって、まだまだ未熟だったと思うんですよね。
教え方も、考え方もね・・・だけど、ただ一つだけ、今より勝っているとしたら、
「情熱」でしょうかしらねえ・・・・
そういうことって、ちゃんと伝わるのでしょうね、たぶん。
人間を教えることの、不思議とでもいいましょうか。
若い先生方に、知っていただきたいことの一つです。
さて、最後に、ふうちゃんが、番組で最後に、ファックスを送った設定で
伝えた文章をご紹介して、この話は終わります。
(本当は、前日にふうちゃんが、メールで送っておいたものなんですけど)
「香さん、お久しぶりです。新聞を改めてご覧になって、どう思いましたか?
たとえ教師の言葉であっても、容易に受け入れようとせず、心理を求めていく
追求の鋭さに敬服します。このことは、よりよい音楽を求めて止まない今の
アーチスト岸谷香の礎になっているようにも感じられます。お体に気をつけて
ご活躍ください」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
で、おしまいなんだけど・・・・・・・・・・
ちょっと、一言。
ずっと舞い上がっている、ふうちゃんを見ていると、
なんだか、こっちは、むしゃくしゃする。
これって、焼き餅?かしら・・・・・
いいなあ、仕事をしている人たちって。
もちろん、大変な思いもたくさんしているし、つらい時もいっぱいあるのも
わかっている。私は、意気地なしだから、すぐめげちゃって
仕事なんて、続かないの、わかっている。
だけど・・・だけど・・・・・
主婦って、こんな、素晴らしい一瞬を味わうことなんて、ない!!
それって、すごく・・・寂しいなあ・・・・・
私って、ちっとも社会のお役に立ってないなあ・・・・
だれも、私の事なんて、必要としてくれてないなあ・・なんてね。
あら?
足下で、トラが・・・・・・・・
「ニャーゴ、ニャーゴ・・ご飯まだなの?」
トラよーーお前だけねえ・・私をひたすら慕ってくれるのは」
昨日の続きです。
さて、家族一同、いつ、ふうちゃんの話が出てくるのかと、ドキドキしながら見てたそのとき、
そう、9時のニュースのちょっと前でした。
キャスターの有働アナウンサーが、いきなり一枚のパネルの写真を出したのです。
「あっ!!パパの写真だよ」と、娘。
そう、私も本当に、びっっくりしました。
いきなり、テレビ画面に、ふうちゃんのにっこり笑った顔が出てきたんですから。
まさか、写真が出てくるとは、思ってもいませんでした。
そして、
「この方、覚えていらっしゃいますか?」と、有働アナ。
「?もしかして・・・・○○先生?」
ああ・・・・・岸谷さんはちゃんと覚えていてくれたんだ・・・・・
もう、37年も前のことで、若かったふうちゃんの姿とは全く違っているのに、
彼女は覚えていてくれたのです。
先ずそのことに、私もふうちゃんも、思わずにっこりでした。
そして、なんと、彼女は、ふうちゃんが持っていた紙・・・・
そう、その昔、子どもの頃に書いた、社会の新聞もちゃんと覚えていてくれたのです。
有働アナと、いのっち君が、出す質問に的確に答える岸谷さん。
そして、最後に、こうおっしゃってくれました。
「この新聞で、先生に、すごくほめられたんです、当時あんまりほめられたことがなかった
ので、ものすごく嬉しかった、君は、やればできるんだよ、と言われたのを、覚えています」
と。
ふうちゃんが、その社会の新聞で(自動車工場見学の新聞だったそうですが)褒めたのは、
見出しの「カップヌードル=トラック一台 同時間 謎の3分間」という部分。
当時のほかの子どもたちが、
「生産台数一ヶ月4000台」 「この工場で作っている車」、というような
見出しだったのに比べると、確かに、ちょっと出色です。
この独創性が、今の岸谷さんにきっとつながっているのでしょうね。
この後、子育てに悩んでいる岸谷さんに、ふうちゃんからのアドバイスを
伝えてくれました。
子どもは、「手をかけないで、目をかけよ」とね
最近よくふうちゃんが、口癖のように言っている言葉です。
でもねえ、他の人には偉そうに、いっているんだけど、
こと、自分の娘のこととなると、ちょっとこれが怪しい。
なにせ、ふうちゃんの、我が子の教育たるや、
「生きていてくれればいい」 だものねえ。
教育も、へったくれも、あったもんじゃないのよ。
それでも、岸谷さんは、感激して聞いていらっしゃいました。
その感激している、彼女を見ながら、ふうちゃんの目も
なんとなくうるうる・・・・・・
そうなんですよねえ・・・・・
本当にふうちゃんは幸せ者です。
世の中に、何万人と先生はいらっしゃいます。
そして、同じように、一生懸命子どもたちの成長のために頑張っておられます。
きっと、ふうちゃん以上に、努力をなさっておられる方が
沢山いらっしゃることでしょう。
でも、教育は、先が長いのです。今やっていることが、どんな結果になるかは、
なかなか見えてきません。
ですから、こんな風に、昔やったことを、認めてもらえるなんていうことは、
なかなかあるものではありません。
しかも、こんな風に、公共のテレビ放送で・・・・・・
「教師冥利につきるな・・・」
と、ふうちゃんが、ボソッと、ひとこと 口にしました。
ご無沙汰しました。・・・って、いつも書いている気がしますが・・・・
このところずっと、受難続きで、いいお話を書けなかったんですが、
今日は、とっても嬉しい話を!!
と言っても、私のことじゃなくて、主人・・ふうちゃんのお話。
あのね・・・・・
フフフ・・・・・
実は、ふうちゃん、昨日テレビに出たんですよ!
出たといっても、写真だけでしたけどね。
でも、何といても天下のNHKの 「あさイチ」ですものね!
全国版!!
事の始まりは、一週間ほど前の夜。
なにやらふうちゃんは、携帯電話を片手に、長話をしているんです。
話の端々を聞いていると、どうやら、むかし教えた、教え子の話らしい。
いったいこの夜中に、何の長話だろうと思ってたら、
電話を切ったふうちゃんが、興奮気味にこう、いった。
「おい、今度の金曜日に、俺の話がテレビに出るかも知れないぞ」
へっ?テレビ?・・・・・・
そりゃ、なんのこっちゃ?と驚いた私。
よくよく聞いてみると、こういう事だったんです。
今度の金曜日に、NHKの朝番組 「あさイチ」のトークで
プリプリの岸谷香さんがでるそうで、
その彼女が、一番覚えている先生の名前として、主人をあげたのだとか。
そうなんです、岸谷さんは、主人の教え子なんですよ。
NHKって、やっぱり、こういうことになると、ちゃんと取材にくるんですね。
ちょっとびっくりしました。
電話の後、主人はその担当者と会って、色々話をしたみたいです。
昔、岸谷さんが書いた新聞を渡したといっておりました。
ふうちゃん、そういう昔の子どもたちの作品を、結構沢山持っています。
いまでは、そういうのは、個人情報ですから、
いけないのかもしれませんけど、何せ昔のこと、30年以上も前のはなしですからね。
その、新聞を取り上げて、驚きの演出をするのだとか。
どんな、展開になるのかと、昨日の金曜日、
我が家は朝から、なにやらそわそわしながら、テレビを見ておりました。
どころで、皆さんご覧になりましたか?
金曜日の、「あさイチ」プレミアムトークを?
どうも、このところ受難続きです。
今度は、とうとう私!
えっ?何が起こったかって?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そう、あれは・・・・・・・・
2週間ほど前の水曜日の真夜中だった・・・・
夜遅く、お風呂に入ろうとしたのですよ・・・・・・・・・・
我が家のお風呂は、床がタイルです。
それも、つるつるに光るタイル!
これって、見た目は綺麗です、ちゃんと拭けば、いつもピカピカ!
だけど、だけど、ぬれていると・・・・ツルツルだから、
とにかく滑る!!
それで、まあ、その・・・・滑ったわけです。
ツルーーーーーってね!
すってんころりんって、言うのは、こういうときに使うのね。
自分が宙に舞ったのがわかった!
どしーーーん!!
と、頭から落ちた!!
あとは、推して知るべし・・・・・・
気がつけば、風呂場で真っ裸で横たわっていた。
「いたーーーい!!いたーーい!」
と、叫んでいると、ふうちゃんと娘が駆けつけ、
「どこを打ったんだ?・・・・なに?頭!!そりゃ大変だ!」
そんな具合で、話はドンドン大げさになり・・・
気がつけば、救急車のおじさんがやってくる羽目になった。
まあ、仕方がないのよねえ・・・・
なにせ、風呂場のタイルが、しっかり割れていたんだもの・・・・
私、母を介護しているときに、
3度ばかり、救急車を呼んだことがあった。
一度は、心臓、次が骨折、そして、最後が車いすから落ちて
頭を切ったときに。
そのたび、母がいつも言ったのは、
「いやよ、大げさじゃない、恥ずかしいわよ」だった。
あのときは、具合が悪いんだから、
そんなこと言ってる場合じゃないでしょ、と、思ったのですけど、
いざ自分の番に回ってきたら、確かに恥ずかしかったわね。
母の気持ちがよおーーくわかった。
とまあ、そんな具合で、たどり着いたのが、
近くの脳神経外科・・・・・・
頭のCTを撮ってもらって、娘やふうちゃんに見守られながら、
先生に呼ばれた。
「うーーん、今のところ、何ともありませんね
頭も異常はないですし、腕も骨折してないですよ」
はあ?・・・・・・・・・・
どうやら、私の頭は、とくべつな石頭だったらしい
なにせ、タイルと喧嘩して、勝ったんだものね
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